広義のアルッ八イマー病とは

アルツハイマー型認知症は、アルツハイマー病とアルツハイマー型老年認知症の両者をまとめた総称である。アルツハイマー病は初老期(四五~六四歳)に発病する進行性の変性疾患で、高度の認知症をきたして人格が崩壊し、やがて死に至る。アルツハイマー型老年認知症(あるいは単に老年認知症)は、アルツハイマー病と同一の病気が六五歳以上になって、すなわち高齢になってから初めて発症してきたものだと考えられている。

両者をまとめる根拠は、病理学的な所見がアルツハイマー病とアルツハイマー型老年認知症とでは差がないことで、両者が同一の疾患で、ただ単に発病の年齢が異なっているだけだという考え方である。しかし、必ずしもこの両者がまったく同じ病気であるという確固たる根拠があるわけではなく、最近ではむしろ両者は異なった病気で、単に病理学的な所見が類似しているだけだと考える研究者が増えつつある。けれども現状では、欧米ではアルツハイマー病とアルッハイマー型老年認知症を一括して単に「アルツハイマー病」あるいはアルツハイマー型認知症として取り扱うことが多い。

アルツハイマー病は男性よりも女性に多い原因不明の大脳の変性疾患である。神経細胞の高度の変性・脱落が起こり、大脳皮質が萎縮して、脳室が拡大してくる。神経病理学的には、アルツハイマー神経原線維変化、老人斑などが多く生じてくる。
しかし、アルツハイマー病の患者の脳においては、これらの変化がたいへん著しい。

もう一つ大切な特徴は、脳の萎縮の程度や、病理学的な変化の程度と、知的機能障害や周辺症状の程度が、必ずしも平行しないことである。症状は身体的な要因や環境要因、あるいは心理的な要因によって大きく影響を受ける。また、環境の急激な変化や精神的なショックによって発病したと思われるような症例も決してまれではない。

認知症の発生と頻度

日本における認知症の有病率は他の先進国とほぼ同率で、六五歳以上の人口のおよそ六%である。
厚生省の調査では、一九九五年現在、日本における認知症老人の数は一二六万人で、二○○○年には一五六万人、一一○一○年には一三六万人に達すると予測されている。現在の日本では、認知症老人の七○~八○%が在宅者である。
 

年齢別にみると、たとえば東京都における在宅の認知症有病率は、六○歳代では一%程度であるが、年齢が上がるに従って急増し、八○歳を超えると一○%程度、八五歳になると四人に一人が認知症となる。この数字をみて、年をとれば必ず認知症になると思うのは間違いで、八五歳になっても四人のうち三人までは認知症ではないということに留意すべきである。
 

一方、毎年どの年齢層からどのぐらいの頻度で認知症が発生するかという、年間認知症発生率は、やはり年齢が上がるに従って年間の発生率も上昇している。つまり、老人になれば必ず認知症になるわけではないけれども、年をとれば認知症になる危険性が高まるのである。

認知症には多くの疾患があるが、最も重要なものは、アルツハイマー型認知症と脳血管性認知症である。外国ではアルツハイマー型認知症が多く、日本では脳血管性認知症が多いとされていた。この違いは日本の統計の取り方が悪いのであって、日本でもアルツハイマー型認知症が多いはずであるという議論が一時期なされていた。しかし最近になり、くりかえし調査された結果、日本人ではアルツハイマー型認知症と脳血管性認知症の比率は三対四で、脳血管性認知症の方が少し多いという結果が出されている。
認知症になった人の予後についての報告はさまざまで一定しないが、七○歳以上の高齢で認知症を発症した場合の余命は、およそ三~五年だろうと考えられている。

ひと言足りない人、多い人

一般人の意識調査で、ストレスの原因としてもっとも多いのは、「人間関係によるもの」です。自律神経失調症の人にも、人間関係で悩んでいる人が多いようです。「あいつの、ああいう態度が許せない」という場合もありますが、人間関係がうまくいかない理由のほとんどは、言葉が原因になっているのではないでしょうか。
コミュニケーションの最大の手段は会話です。しかし、この会話が人間関係において命取りになることが多いのです。
いうべきときに、なぜかいいそびれてしまい、だんだんと不平不満がたまって落ち込んだり、イライラしたりするというひと言足りない人、これとは逆の、「いわなければよかった」と後悔するひと言多い人、いずれも問題です。
いいたいことは、素直に上手に伝えたいものです。言葉は時と場合によって、刃物よりも深く相手の心を傷つけてしまいます。
気にさわることや腹の立つことがあったなら、ときにはがまんしないで、相手にぶつけてしまうことも必要です。そこから友情が芽生えることだってあるのです。
相手にいえない場合は、家族や友人、同僚などにグチを聞いてもらいましょう。人に話すと、案外、すっきりするものです。
くれぐれも恨みや怒りの気持ちをいつまでも引きずらないこと。
宇宙の果てにでも捨てたつもりで、いやなことはきっぱりと忘れることです。

意識障害、通過症候群は認知症ではない

認知症と間違えやすいものに、意識障害と通過症候群がある。認知症の定義には「意識障害がない」ということが条件とされている。しかし、たとえば老人では、脳の循環障害や発熱、大怪我、手術、全身麻酔、あるいは抗精神病薬や睡眠薬の過剰投与などによって意識障害が起こりやすく、そのために少しボーッとしておかしなことを
いった叉 ものが覚えられなくなったりする。これを認知症と見誤る危険がある。

認知症にくらべて意識障害は比較的急速に起こる。また、意識障害は原因となった薬を中止したり、怪我の程度が軽くなれば元に戻り、可逆性である。認知症では、同じような症状が一日中ずっと、あるいは毎日ずっと続くが、意識障害では数時間あるいは日の単位で、症状がよい場合とかなり悪い場合とがくりかえし現れ、症状が一定しないという特徴がある。

通過症候群は意識障害がないにもかかわらず見当識障害があり、軽い精神機能低下や抑うつ状態がある場合をいう。見当識障害とは、今日が何月何日で、いまどこに誰といるのかがわからないことである。多くの場合は、高齢者などで重い病気の後の回復期とか、手術を受けた後に完全に回復するまでの間にみられる状態である。

つまり認知症は症状が固定していて慢性の、ほぼ非可逆的な高度の知能障害であるのに対して、意識障害はちょうどカーテンのように、症状に動揺がみられ可逆性である。

脳が壊れた時

何らかの原因で脳の一部が壊れた時、脳の可塑性はどのように発揮されるのだろうか。

コンピュータでは、お互いのICチップは電線で完全に繋がっているので、たとえ一カ所でも断線が起これば、何十億円もするようなスーパーコンピュータでも全体の機能が失われることになる。脳では神経細胞一個が死滅すると、その神経ネットワークの働きは一時的には失われるが、やがて全神経細胞の軸索から新しく芽が出てきて(発芽
恥スプラウティング)、ついには新しい神経ネットワークが完成し、残った神経細胞同士がシナプスを形成して機能は回復する。このような「発芽」の現象も脳の可塑性の重要な因子である。

神経細胞が死滅した時に発芽が起こると述べたが、最近では、神経細胞が傷害されない場合、すなわち生理的(正常)な状態でも、この発芽の現象が起こることが明らかにされている。脳が障害されなくても、神経ネットワークの組み換えが起こって脳の可塑性が発揮されることは重要である。この生理的な発芽と可塑性が、くりかえし練習、くりかえし学習によって記憶されるという、記憶の最も重要なメカニズムだと現在では考えられている。

意欲をもって脳を使うことがいかに重要であるかということが、これらの脳の可塑性の研究から判明してきたのである。
また、神経栄養因子そのもの、あるいは神経栄養因子やそのレセプターを増やす薬剤を、痴呆やその他の神経が変性する疾患に応用しようとする最近の試みは、ここで述べた研究をもとにして行われるようになったのである。

脳はコンピュータのRAM

遺伝子・脳・文字の三つの記憶系を、コンピュータをイメージして考えてみるとわかりやすい。すなわち、遺伝子は記憶素子のROM(『①且 gご 日の日○ご)、脳は可変性があるRAM、文字は外付けのハードディスク、あるいは外付けの光磁気ディス
クだと考えられる。

遺伝子の情報は読出し専門で、それを変化させることは不可能である。しかし、生体にとって最も重要かつ基本的であるということには変わりがない。脳はRAMと同じで書き換え可能なので、教育や発達にともなって情報を書き換えてグレードアップすることができる。また、電源が切れると消滅するという意味でも、コンピュータのRAMに似ている。そして文字は、大きな情報量をもっていて、しかも半永久的に保存が可能で、別な文化圏にもって行ってコンピュータにつなげば、それを理解し利用することが可能である。
以上述べたように、情報を記憶し伝えるシステムとしては、三つのものが考えられるが、まったく新しいことを考えつく創造性や種々の情報を組み合わせて、よりすぐれたものをつくり出すという高度の知的機能の発揮にとっては、やはり脳が最も大切であることはいうまでもない。そこで次の項では、脳の記憶を支えるメカニズムについて述べることにする。

バランスのよい食事

ふつうの食事をしていても、日本の場合、土壌の関係から野菜などにはカルシウムの含有量が少なく、どうしても不足しがちです。
その分、小魚の骨などを食べればいいのですが、現代人の食生活では、そう簡単に補えるものではありません。また、インスタント食品などに含まれるリンは、せっかく吸収したカルシウムを体外に排出させてしまいます。ですから、カルシウムは、意識的に摂取したほうがよいでしょう。
さらに、毛細血管を強くするというビタミンEなども不足しがちになります。アーモンドやピーナツなどのナッツ類に多く含まれていますが、やはり食品だけからの摂取では不足します。
これらのものは、補助食品のような形でとるように心がけたいものです。
私たちが日常生活を送るうえで必要な栄養素は、たいていがバランスのよい食事をとることで得られます。それでも食事に偏りは出てしまいます。また、忙しさのあまり、食事らしい食事をしていないと、からだは正直です。栄養不足は、はっきりした症状となってあらわれてきます。からだに具体的な症状が出てきた場合は、しっかりと対処しましょう。その症状の原因がわかれば、どうすればいいのかもわかるはずです。
なにが不足なのか、なにを補えばいいのか、栄養と食べ物の関係をおさらいしておきましょう。

生理的変化

認知症性高齢者の心理を知るためには、心理的基盤を作っている生理的変化について知る必要があります。まず感覚器と心理状態について考えてみましょう。
視覚》老年になると視力の減退、調節力の低下による障害を訴えるようになります。眼がかすんだり、ものがみえにくくなることはそれだけ刺激が少なくなり、お年寄りの心理状態を変化のない乏しいものにします。
聴覚》老年になると聴覚が低下することはよく知られています。聴覚の変化は、しばしば周囲の人の会話の内容を誤解したり、思いちがいを生じさせます。聴覚の低下により客観的思考や批判力、洞察力を失うようになると、感情的反応がそのままそのお年寄りの心理状態
に反映することとなります。
味覚亜お年寄りは、味覚の変化について訴えることが多くなります。何を食べても砂を噛むようだ、味がしないなどと、味覚の変化を料理の内容のせいにしたり、あるいは、料理を作る人のせいにします。

以上のような知覚の変化は、お年寄りの場合には身体的あるいは、神経学的な異常にもとづく変化もあるし、心理的あるいは精神的変化に伴うこともあるので、場合によっては治療が可能となります。したがって、十分に専門的な検討がなされるべきです。感覚が正常であ
れば、それだけ心理状態を好ましい状況に保てるわけです。
お年寄りの性格の変化については、プラス方向とマイナス方向の両方の変化が考えられます。その変化について少し詳しくふれてみます。

もともとの性格に角がとれる、円満でおだやかになる、心配ごとや困難に対して忍耐力を持てる、不安を簡単に表面に出さなくなる、不平・不満をもらさなくなるなど、プラス方向への性格変化を示すお年寄りが案外いるにもかかわらず、このような側面が忘れられ、マイ
ナス方向への性格変化が強調されすぎて、お年寄りが誤解されている印象があります。
次にお年寄りのマイナス方向への性格変化をみますと、いらだつ、過去にこだわる、ものごとにあまり関心を払わない、新しいやり方を覚えようとしない、臆病になる、自分の気分や感覚に左右されやすくなるなどの傾向がみられます。さらに認知症性が加わると、頑固、わ
がまま、精疑的になります。

さて認知症性高齢者では、このような性格的基盤にもとづいてどのような心理的特徴を示すのか、ある報告をもとに考えてみましょう。

拒否的あるいは支配的態度函自分がなお年輩者として、あるいは家長としてのふるまいを示すために、自分の能力をごまかす手段として、一方的に拒否したり、権威的・支配的態度をとります。

アルツハイマー型認知症

アルツハイマー型認知症
アルツハイマー型認知症は、先に述べたように一つの病名を指します。これは、初老期および老年期に発病することが多く、原因について十分にはわかりませんが、脳萎縮によって起こる病気です。この脳萎縮を原発性脳萎縮といいます。アルツハイマー型認知症の発生は、遺伝と環境が関係するといわれていますが、もちろんこれだけでは起こりません。アルツハイマー型認知症における脳萎縮の場合は、健康な高齢者の脳に比べて肉眼でも大脳皮質の萎縮、脳室の拡大をはっきり認めることができます。主な症状は進行性の認知症です。しかし、その内容はさまざまで、知能低下以外の精神症状がしばしばみられます。
認知症のはじまりは、物忘れやちょっとした失敗などからわかることが多く、それらがしだいに繰り返してみられるようになります。しかも、本人の自覚が乏しいのが特徴です。日常生活への適応が困難な状態になるのに、一、二年を要します。一九○六年、高度の認知症を呈して死亡したドイツ人女性の脳を解剖して調べたところ、それまでに知られていなかった病変が顕微鏡で見いだされました。このことを報告したアロイス・アルツハイマーの名前をとり、アルツハイマー病と呼ばれるようになりました。この報告では、脳の病変の特異性もさることながら、五一歳の若さで夫に対する嫉妬妄想、記憶喪失で発病し、四年半の経過で死亡したことが大きな関心を呼ぶことになりました。
一方、六五歳過ぎの認知症患者においても脳に同様な変化が現れることが知られており、比較的最近まで老年認知症と呼ばれていました。先に述べた六五歳以前の初老期にみられるアルツハイマー病はこの老年認知症と似ていますが、発病年齢、認知症の程度や病像あるいは脳病理所見で異なるところもあることから、別の病気と考えられていました。
ところが一九六○年代ころより研究が進み、アルツハイマー病と老年認知症は、発症年齢が違うだけで本質的には同一の疾患であると考えられるようになってきました。そこで老年痴呆をアルツハイマー型老年認知症と称するようになりました。その後、アルツハイマー病とアルッハィマー型老年認知症を総称してアルツハイマー型認知症とし、六五歳以前発症を早期型、それ以後を遅発型と分類しています。しかし、アルツハイマー病とアルツハイマー型老年痴呆は異なるとの見解は完全に否定されたわけではないので、科学の進歩とともに疾患の呼称が異なってくる可能性があります。

病む家族

このような体験を背景に、認知症者の家族も病んでいると考えた方がよい、と私はスタッフに言ってきた。認知症をかかえる人には、「問題行動」があっても非難することなどけっして
しないスタッフが、家族には厳しい目を向けることがある。認知症をかかえる人の世界を知ってかかわらねばならないのと同様に、家族は闇の世界をかかえていることもある、私たちの目
が届かないところで追いつめられているのかもしれないと考えてかかわることを、私はスタッフに求めたのである。
家族を語ると、人はどうしても感情的になりやすい。だれもが自分が育てられ、自分がつくってきた家族という体験に引きずられてしまうからであろう。客観的に家族を視ることはかな
り難しい。だからこそケアにあたる者は、自分の家族観がかなり偏ったものであるかもしれないと意識的に考え、それを介護する家族に押しつけてはならないと自戒しておかねばならない。
かならずしも幸福とは言えない家族体験をもっているスタッフは、かえって倫理的に過ぎる家族像を求め、あるいは完壁な家族関係を期待して、そのような家族像に無理に押し込めよう
とする間違いを犯しやすい。
そうでなくとも、それぞれの家族には、それぞれの歴史があり、文化がある。それを無視して、家族指導と称し、大きな変化を家族に求めるなどという行為は、どだいうまくいくはずが
ない。むろん、老人虐待があっても見逃せ、などと言っているのではない。家族の態度を一方的に「優しい」「冷たい」などと裁断することの不遜さを指摘しているに過ぎない。
すばらしい親だったと考える子どもたちは、目の前の親の変貌をどうしても受け容れることができず、激しく叱責したり、つい邪険にしてしまうこともある。このような場合には、しば
らくお預かりして、距離をとっていただくようにしていた。むろん、その間、ご家族とは何度も出会って、お気持ちを伺っていた。
クリスティーンさんの娘さんたちも、敬愛していた冊親の変化をどうしても受けとめることができず、長女は世話を焼きすぎて衝突を繰り返し、次女は好きな馬の世話に逃避し、三女は
いじめに遭い、麻薬に走った時期もあったらしい。彼女らの姿、言葉はテレビでも報じられた。
あまりに無理して在宅介護を続けていると、ついには燃え尽きて、介護することさえ放棄してしまわれることがある。そうなると介護者は一見楽になったかにみえても、自責の念にかられることになる。不幸にして入所中に生命の限りを迎えられると、残された家族には取り返しのつかないことをしてしまったという悔いばかりが残る。

なかには家族という枠組みをいったん解体し、家族の紳から解き放って、ケアを専門家にゆだれた方がまだいい、という場合さえある。だから、私は「冷たい家族」を非難の目にさらし
てはならない、と考えてきた。

そのような思いから、私は「自分たちだけで介謹を背負うことはやめた方がいい。私たちにもお手伝いさせてください」とご家族に言い続けてきたのである。具体的な日常生活のケアを
専門家にゆだねたことで、ようやく優しさを取り戻せたと語る家族も少なくない。